4月18日、ベルサイユ
久しぶりに、夜が明ける前に起きて、薄暗いサラマンジェ(食堂)にてお手紙を書いています。
いや、すでに日は昇りつつあるのかもしれませんが、しばらくはヴォレ(雨戸)を開けずに、手紙という名のおしゃべりタイムを楽しみたいと思います。
先日は満開の桜の写真をありがとうございました。圧倒される美しさですね。今年は雨のお陰で長持ちしたとのこと、そういう春もあるのですね。
そうだ、桜で思い出しました。
実は、うちの庭にある桜’風’の老木が病菌に侵されていて伐採しなくてはならないことになり、その木の代わりに、今度は本当のソメイヨシノを植えたい、と考えています。
「ベルサイユの気候でも育つのかしら」と植木屋さんに聞いたのですよ。すると、「cerisier japonais(日本の桜の木)でしょ?大丈夫だけど、でもあれはサクランボもできないし、一瞬で花が終わるんだよ、ほんとにそんなのでいいのか?」と2度も確認されて。
日本の桜が好きなわが夫すらも、「八重桜の方が持ちがいいんじゃない?」ですって。
あの わっと咲いて、ぱっと散るところが もののあわれなのに、しまつ屋のフランス人にはわからないのでしょうか。
信子さんのお手紙には、今回は花見をしながら、「あと30回くらいしか見られないのかしら」と気づいてしまった、とありましたが、ホント、そうだな、と思いました。それもあって、桜の木に拘ってみたいと思っています。わたしも日本に帰れないのであれば、、残りの春はせめて桜を見て過ごしたいのです。
そして、2つの文化の話。
信子さんのお手紙からは、お子様方は日仏両方の文化をしっかりと理解し、自分のものとして取り入れている様子を感じ取れました。うちの子たちは80%フランス人だと思います。残りの20%すら、日本人なのかよくわからないですよ。母親のわたし自身が外国にかぶれていたヘンテコな日本人ですし!
……でも、今のわたしは、日本の文化をこよなく愛しています。
先日は、組香という、香道のお遊びを体験させていただく機会に恵まれました。組香は、何の香りかを当てる風雅な遊びです。初めに、その季節ならではのお香を「聞き」、そのあとで、ブラインドテイスティングならぬ、「ブラインドお香聞き」をするのです。
お香は「嗅ぐ」ではなくて、「聞く」んですってね。お香が呼び起こす想い出や自分の中にある想いを「聞く」。素敵でしょう?
そうやって香りに想いをアタッチして覚えると覚えやすいですよ、と先生が教えて下さったのですが、お香聞きは見事に外れました!
日本文化は、「祈り」を感じるから好きです。ひな祭りやお月見などもそうですし、昨日は、「文学は祈り」という、とある国語教諭の記事に出会いました。届け、届け、と思いながら物語を編む、という作業は祈りにも似たものだ、という。わたし自身も、こうして物を書くときは、伝え切れない気持ちを、それでも言葉にするしかなくて、誰かが読んでくれるといいな、そして伝わるといいな、と願いながら書いています。文学を、わたしの文章ごときと比較してなんですが。
また、ことのほか日本語には、言霊を感じるんですよね。フランス語や英語などアルファベットの言葉よりも、漢字やひらがな、カタカナという、個性強い文字を駆使して生み出される言葉には、何万とある遺伝子からDNA列が作られて人が作られるのと同じように、一つ一つの言葉に魂が宿っているように感じます。その言葉を編んで作られる文学は魂が詰まったもの。まさに祈りです。
フランス語をマスターし、教える側に立つ信子さんは、また違う考えを持っていらっしゃるかも? いかがでしょう。
祈りといえば、今日は聖金曜日。フランス語では、Vendredi Saint ですね。復活祭前の1週間は、聖週間と呼ばれますが、敬虔には程遠いわたしでも、この期間は思いに耽ることが多いです。特に今年の聖週間は、長男がパリの狭いホテルにつめて、連日グランゼコールのコンクール(入試)にチャレンジしています。親ばかなわたしは、いつも頭の片隅で、「どうか悔いを残すことなく、頑張れますように」と祈っていました。
その長男も、今夜は帰ってきます。毎年聖金曜日のメニューはブランダードと決まっているのですが、今年ばかりは、同じ鱈でも和食風にしてあげたい、と考えています。疲れたときは、熱いお味噌汁が、こころに、身体に沁みますよね。わたしはお味噌汁を頂くと、自分の中で何かが解きほぐれていくように感じます。ヘンテコ日本人ですが、味噌汁DNAはあるみたい!?
さて今週の日曜日はPâques、復活祭ですね。ペレ家ではどのように祝うのでしょう。うちはジゴ(子羊のもも肉)と決まっていて(でも、わたしはそんなに好きではなくて、もごもご)。
また長くなってしまってゴメンナサイ!
どうぞ穏やかな金曜日、そして歓び多き日曜を。
かしこ