往復書簡⑨ 親愛なる信子さんへ

わたしたちの往復書簡
©エクリール

 11月1日、ベルサイユ

 万聖節 Toussaintの今朝、霧が立ち込める中、お便りしています。こちらは、先週末に冬時間に切り替わりましたが、体内時計は調整が終わらず、全てが押せ押せの一週間でした。金曜日ギリギリの投函となることをお許しくださいませ。

 信子さんエッセオンラインにて書かれた、義理のご両親宅の整理についての記事を読みました。日本からフランスにいらして、その上片付けもされたのですね。本当にお疲れさまでした。
 また、前回の手紙では、義母様が他界されてから、振り返ってみれば仲はとても良かったけれど……とありました。「義理」の家族というものは、微妙な距離があるものですよね。
 わたしは義理の家族のことを語るときにはどうしても奥歯にものが挟まったような物言いとなってしまいます。そんな「奥歯に挟まっているモノ」について尋ね頂いている、のですよね? ぐるぐる頭の中で考えていたけれど、答えも出ないまま放置している状態なので、上手く話せるかなぁ。
 そうだ、昨日はハロウィーンでしたので、そこから始めてみたいと思います。

 うちの夫はハロウィーンが大好きなのですよ。
 彼が本当のハロウィーンを知ったのは10年前の、横浜駐在時代でした。外国人も多いエリアに住んでいたので、ハロウィーンの夜は大騒ぎ。アメリカ人家庭の家などは、もうホウンテッドマンション顔負けのお化け屋敷のように飾られ、大人たちも口裂け女やモンスターに化けたりで本気度高し、でした。夕方になると多くの子ども達が仮装してやってきて、「トリックオアトリート!」と舌を噛みそうになりながら声を上げ、かわいいことったら。
 夫も息子たちに付き添って各家を訪れていたのですが、途中で息子たちが友達と合流して消えたとかで、うちに戻って来まして、「すごいんだよ」と子どものように、各家のデコレーションや子どもたちの様子を報告します。でも、わたしはそれどころではありません。うちの玄関の前も、長い行列です。「ほら、お菓子配りを手伝って!」と、夫にお菓子のバケツを渡し、てんやわんやでした。

 その夜、夫は「あんなに楽しいことを、僕は知らなかった」と祭の余韻に浸っていました。「夜闇の中を子ども達が練り歩き、見知らぬ家に行ってお菓子を貰うなんて僕の育った環境ではありえなかった」と。治安的にも文化的にも、夜、子どもだけで街を徘徊するというのは、確かにパリではありえませんからね。
 ……でも、きっと、そういうことじゃないんだよね。
 夫は人にねだる、ということをしません。「どれが欲しい?」と聞かれたら、「君はどれが欲しいんだい?」と聞き返す人です。「腹減った、ご飯まだ?」と急かされたこともありません(自分で作ることもありませんが!)。そんな彼にとって、お菓子を貰う、という行為は特別なことだったのだと思うのです。

 少し脱線させてください。
 その昔、息子がまだ幼かった頃のことです。義理の両親の家では、サロンは大人の場所なのですが、珍しく長男もサロンにいさせてもらえたことがありました。信子さんもご存じのように、フランスでは食後にサロンでコーヒーを頂きますが、そのとき、ショコラも一緒に頂きます。でも勝手にショコラに手を伸ばすことはしません。義母か義父がショコラの箱を「いかが?」と勧めるのを待ち、欲しい人は一つ取って頂きます。
 その日は息子もショコラを一つ貰って、そのおいしさに大感激。そして、もう一つ欲しい、と義母にねだりました。すると、義母は静かに、「On ne mendie pas」と返し、すっと大人たちの会話に戻ったのです。これは訳すれば「おねだりはダメ」ということなのでしょう。でも、わたしはmendierという動詞は、「物乞いする」という意味もある、きつい言葉だと感じています。フランス語の教師であられる信子さんに、いつかそこら辺のニュアンスを教えて頂きたいです。とにかく、そのときのわたしは、ショックを受けました。子どもが滅多に口にできないショコラを、おばあちゃんに「もっと頂戴」とねだることはそんなに悪いことなのか、そこまできつい言葉が必要なのか、と。

 話があちこちに行ってすみません。ハロウィーンに戻ります。夫は義母からこのように育てられた、ということを分かって頂きたかったのです。なので、「お菓子を貰いに(≒ねだりに)知らない人の家に行く」という行為を全面的に肯定するハロウィーンに驚き、「お菓子くれないならいたずらするぞ」と脅す子ども達を、笑って受け入れる大人たちの寛容さに、夫は何か幼いころの自分が慰められているように感じるのかな、と思ったのです。

 義母はこのように厳しいのです。きっとご自分も厳しく育てられたのでしょう。そしてそんな自分に誇りを持っていると思います。厳しさに耐えられない人は失格、とさえ思っている節があります。
 でも、義理の家族は皆それぞれに傷ついている、義母への愛情はもちろんありますが、一方で傷ついている。それがゆえ、母子間の繋がりも、礼儀正しいけれど他人行儀で、たとえ高熱が出ていようと、義母には「ça va très bien 元気ですよ 」としか答えませんし、困りごとがあっても相談などしません。
 義母も年老いてきたのでしょう、それを寂しく思っているようで、時折わたしに電話があるのですが、もう取り返しはつかない気がして、わたしは慰める言葉を探すのに苦労しています。

 信子さん、家族って何なのでしょう。それを考え出すとぐるぐるしてしまうのですよ。
 義理の家族は、一見すれば「幸せな家族」ですよ。孫も沢山いて、みんな健康で。でも、わたしは、義理の家族の在り方に哀しみを感じてしまう。
 一方で、自分が作った家族は大丈夫なのか、と不安にも。特に、息子たちが巣立とうとしている今、振り返りのフェーズに入りつつあるので、なおのことぐるぐるします。

 〆になっていませんが、そして他のご質問にたどり着けませんでしたが、いかんせん長くなってしまったので、ここで筆を置きましょう。
 
 今日から11月。日本は秋たけなわとなりますね。秋晴れの中を愛犬君と散歩される信子さんが目に浮かんでおります。こちらは雨が多い季節に入りますので読書などに勤しもうと思っております。お互い、風邪に気を付けながら過ごしましょうね。

かしこ
美紀

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