遠くが朝靄で霞むベルサイユ宮殿の大運河の写真をありがとうございます。曇りがちなフランスの秋の朝の雰囲気が伝わってきて、その冷たい空気まで吸い込めそうです。東京は寒くなったり暑くなったり。それでももうすぐ12月。今年最初のパンデピスを焼きました。
「ノエルの大午餐会はメンドクサイ」。美紀さんのその気持ちは分かりつつ、私は少し羨ましいと思っています。
フランスでノエルの大午餐会は年に一度、12月25日に家族、親戚が集まって、ご馳走の並んだ食卓を囲む、日本で言うならお正月のような食事会で、日本の新年のような厳かな雰囲気があるところも似ていますね。
私はフランスに住んでいた時、この午餐会でフランスの食文化を肌で感じ、そして訓練されたと思います。お昼に始まる午餐会が終了するのが夕方4〜5時。そして少しするとまたsouper (スープの夜食)の準備が始まるような1日でした。この秋に亡くなった夫の母は、家族や友人みんなから「料理、おもてなしなら彼女」と名前が上がるような人だったので、毎年午餐会の会場は夫の実家でした。私たちが日本に住むようになって、クリスマスにフランスの実家のノエルに参加できなくなったことは心苦しいことでした。そしてこの秋、お義母さんが亡くなって、彼女を中心とした延々と続く食事とおしゃべりのあの時間はもう戻ってこないのだと思うと悲しくなりました。
だから、と言うこともあるかもしれませんが、ノエルの大午餐会と聞くと、羨ましいのです。親戚が集まっていれば会話を独り占めする人、悪酔いする人など必ずいるし、フランス人の嫁 (belle fille) はどっかり座って食事を楽しんでいても、日本人の嫁としては気を回して一人で動いて疲れ果ててしまうのも、よくわかります。
子供達が家を出てから、なるべくクリスマスかお正月は集まって過ごすようにしています。うちの夫は多くのフランス人のようにカトリックの教育を受けましたが、実践はしていないのでクリスマスは、宗教的と言うより文化的にその雰囲気を楽しむ感じです。
毎週日曜日にミサに参加し、自分が迷ったときは聖書に戻る、と言う姿勢が息子さん達に継承されたと言うのは、さすが伝統を重んじるドメストル家、と思いました。中高生になると、親がしていること、聖書の内容などに疑問を感じ、反発する子も多いと思います。家族全体の文化として定着しているから継承できるのですよね。
美紀さんが「悩み多き若かりし頃」手を差し伸べて「群れ」に混ぜてくれた方達がいて、今でも交流されている。こちらも羨ましいなあと思いました。私は若い頃は突っ走っていた気がするので、自分よりも前の景色を見ている先輩方に教えてもらおうと考えたこともなかった気がします。今になると、その意見や考えが自分の未来を示しているようで貴重だと思えるようになりました。自分が戻れる「群れ」があるのは良いですね。美紀さんのお手紙を読んで、そんな「群れ」はいくつあっても良いものだと思いました。
11月も後半になるとクリスマスプレゼントのことを考え始めます。子供が大きくなるについて豪華になっていったプレゼント、これからはどうしようと夫と考えています。ドメストル家ではクリスマスプレゼントはどんな位置付けですか?カトリックだから大切だとは思うけれど、もしかして意外にシンプルなのでは?などと想像しています。
インフルエンザ、と言う言葉を周りで耳にするようになりました。お身体に気をつけてお過ごしくださいね。
友情を込めて。 Avec toutes mes amitiés.
信子
PS:この返事を投函したと思っていたのですが、なぜか投函せずに「投函済み」に整理しておりました。老化を感じます。。。