往復書簡⑥ 親愛なる美紀さんへ 

わたしたちの往復書簡
©ペレ信子

10月11日 パリ

パリの空港でこのお手紙を書いています。フランスに住む夫の母が9月末に亡くなり、葬式や様々な手続きのためにフランスに来ていました。そんなこともあり、お返事の前に少し昔話をしたいと思います。いつもより少し長めのお手紙です。

私が最初の仕事に就いたとき、しばらくブザンソンの夫の実家に住んでいました。まだ結婚していなかったこともあり、居候生活は少し肩身が狭く、初めての仕事でストレスも受けていました。そんな中で楽しみだったのはやはり食事。お義母さんのことを考えるとき、時間をかけて煮込んだ料理やにぎやかなホームパーティーを思い出します。彼女は私のフランス家庭料理とおもてなしの師匠でした。

教会でのお葬式、近くの集会場での会食、30年来の知り合いである親戚や夫の両親の友人たち。大都会のそれとは違うのんびりした雰囲気の中、ゆっくりと思い出話をしていると、日本に住んでいると忘れがちな「私にはフランスに家族がいる」ということを実感しました。久しぶりに会う人たちとの近況報告で、自分たちの30年間と彼らの30年間をすり合わせながら、私たちの元を去る人は、残る人々同士をこうして再び結びつけるのだと感じました。

さて、美紀さんのお手紙へのお返事です。新卒の頃の美紀さんが念頭に置いていたのは経済的自立とのこと。最近は、働くことに自分探しであるとか、夢であるとかを求めて決断できないという話をよく聞きますが、本来は親からの経済的自立が一番の目的だったし、そのためには親も援助を控えて「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」態度は必要なんだと思います。世の中が豊かになって、ますますそう思います。

美紀さんのキャリア人生のスタートは不純どころか、とてもまっとうな考え方だと思いますし、その後の紆余曲折も、生きる国を一つに絞らずに動かれたことは私から見るととても勇気と行動力があってすごいと思います。常にその時の自分と相談してなんでもトライして行きたいと私も共感しました。

そして今、美紀さんは「書く」ことに向き合われていますね。今までの道のりがきっと書くことにプラスになっていくのではと思います。

今回、義母のお葬式で30年前の自分のことをたくさん思い出しました。がむしゃらにフランスで会社員をしていた時。忙しかったけれど、それが自分のしたいことなのか自信がなく、通訳という仕事は、なぜだかわからないけれど実はあまり好きではなったのです。人の言ったことを繰り返すだけで自分の意見を言わないからだとずっと思っていました。でもそれは本当の理由ではなかったことが最近になってやっとわかりました。

フランス語を教え始めてから、教えた人がどんどんフランス語が話せるようになったり、わからなかった文法がわかってもらえたりすると本当に嬉しくて楽しいのです。そして気づいたのは、私は人が誰かとコミュニケーションを取れるように「その人の口や耳」になるのではなく、その人自身が自分でコミュニケーションを取れるように手助けするのが好きだということ。そして、私の子育ても、子供のできないことを先回りしてやるのではでなく、子供が自分でできるようになる手助けをしていたことに気がつきました。子育てを通し50代になってやっと、通訳よりもフランス語の先生の方が好きな理由がわかりました。

言葉には若者の言葉もあれば熟年世代の言葉もある。フランス語でコミュニケーションを取りたいと思う人がいる限り、何歳でもできる仕事だと気づいてから、私のこれからの仕事のうちの大きな柱の一つになりました。

美紀さんおすすめの動画観ました。すごい経歴の人だからこそ家族を大切にというメッセージに説得力がありました。そしておっしゃる通り、なぜか安心し共感しました。

来年、家を離れる息子さん達に、美紀さんがしてあげたいこと、一緒にしたいことは何ですか。まだ家に子供達がいらっしゃるのはとても羨ましいです。

秋晴れが気持ちよかったパリから東京に戻ります。チュイルリー公園には焼き栗売りが出ていて、プラタナスの枯葉を踏みながら子供達と歩きました。急に寒くなることもあるフランスの秋、お身体にお気をつけてお過ごしくださいね。

Avec toutes mes amitiés. 友情を込めて

信子

PS: 写真は散歩の途中にコンコルド橋から見たセーヌ川とエッフェル塔です。

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