わたしのふらんす⑧ パリ五輪を振り返る

わたしのふらんす
©エクリールKayo

 「夏が終わりかけている。この感じはいつも強烈だ」
 ……三島由紀夫の小説の一文です。そんな時候となりました。
 今年の夏、日本は大変でしたね。猛暑に地震、そして台風。「夏の終わり」を待ち望んでいる方も多いのでは。

 こちらフランスでは、「強烈な夏の終わり」を感じることがありません。毎年のように、8月の半ばからさりげなく秋が混じり込み、陽もぐんぐん短くなっていって、気づいたらもう秋に滑り込んでいる、という感じなのですよ。離れた身としては、あのしっかりと暑くて、セミがみんみんと鳴く日本の「強烈な夏」がとてつもなく懐かしくなる時があります。

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 この夏を振り返ると、フランスでは、なんといってもパリ五輪でしょう。興奮に湧いた2週間でした。

 わたしもご縁があり、五輪関連のお仕事をしたこともあり、いつもよりしっかりフォローした五輪でした。ゆえにこの夏はこのエッセイの更新もさぼってしまいましたが、この先は以前同様、毎月5日と20日に投稿するつもりでおります。どうぞよろしくお願いいたします。

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 パリ五輪、素晴らしかったですよね。ある意味、「フランスの今」が体現されたイベントだったと思います。どういうことか。

「なんとかなる」フランス

 フランスを語るとき、「カオスで、ストばかりで、時間にルーズで、みんな自分勝手」とはよく言われるところ。辛口すぎる? いや、残念ながら本当のことなのです。
 本当にそうなのですが、それでもなぜか最後は辻褄を合わせて何とかなる国、というのも本当のこと。仕事でも、PTAでも、地域の問題でも、始まりはカオスなのに最後は何とかなる、というケースを幾度となくみてきました。
 パリ五輪も、始まるまでは新設備の建設も街中の工事も「間に合わないよ、どうすんの?」と絶望視されていたけれど、間に合いました(ま、一部除いて、ね)。「これ、いつまでやってんの? 一生終わらないんでしょ」と、パリに住む誰もが思っていたポルトマイヨー駅付近も見違えるようにきれいになったし!

 また「テロの標的になるぞ」と心配の声も多かったのですが、幸い事件なく終わりました。
 開催中は、ピストルや機関銃を持った警官・憲兵が街に溢れていて、いつも以上に安全でした。電車・バスもいつになく順行していて、パリジャン・パリジェンヌたちは、「いつもそうだったらいいのに」と苦笑いしていますが、とにかく、事故や災害がなくよかった!

古きは美しいパリ

 今回の五輪は、パリ+近郊の観光名所で競技を、という戦略でした。近隣の住民からは不満が噴出していますが、わたしは良いアイデアだと思っています。パリの美しさは歴史的建造物にありき。使わない手はないです。
 
 アンバリッド寺院を背景にマラソンランナーがゴールインする絵には「巧い!」と手を打ってしまいました。
 
 フェンシングやテコンドーが行われたグランパレの、場内のアレンジの美しさったら! 

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グランパレ内には、ベルエポック調の建築に合わせ、同時代の装いを纏った役者たちがさりげなく観客に混じっていて、雰囲気を盛り上げるという演出もありました。(手振れ写真をお許しください)

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 ベルサイユでは馬術が行われましたが、まず、「ベルサイユで馬術」というそれだけでも、「考えた人、天才」と感心します。100年前のパリ五輪のときは競馬場を使ったそうですが、ベルサイユ宮殿の敷地を馬が駆け巡る、という方が断然美しいし、テンション上がりますよね。こちらをクリックすると、Xツィッター五輪公式アカウントの、日本の馬術団体に関する投稿へ飛びます。どのような感じだったのか垣間見られるかな。

 ちょっと外れて装いに関しては、表彰式担当者のユニフォームのノスタルジックなスタイルがとてもシック(こちらはバザール誌のサイトへ行きます)でした。前回のパリ五輪にオマージュを払ったそうです。

 一方で新しく建築された競技場の建築は「斬新」と呼ぶにも微妙なデザイン。この新旧混じっていて、古いものは批判の余地がない美しさで、新しいものは美しくない、という点が、今のフランスだなぁ、と思いました。五輪を外れて例を挙げれば、古いオスマン建築のアパルトマンは景観美しいけれど、昨今の新しい建物は、安っぽいし暗くて美しさを感じません。
 新しいものは美しさを求めていない、いや、美しさの定義が変わっているのかもしれない、そして、わたしがそれについていっていないだけなのかもしれません。独断のまま(「わたしのふらんす」なのでお許しください!)言い切らせていただくと、美のアップデートができないまま新旧入り混じっていて、美醜入り混じっている、これが今のフランスだなぁ、とわたしは思うのです。

正直すぎるフランス

 開会式はご覧になられましたか? いかが思われましたか? わたしは、「うわ、フランスったら正直すぎる」と苦笑しながら観ておりました。

 出だしは良かったのです。セーヌ川を舞台に繰り広げられ、エッフェル塔も常に見えるアングルは美しかったし、ビゼーのカルメンもサンサーンスもドビュッシーの音楽も、図書館におけるフランス人文豪の紹介も、スポーツとの関連性が深堀されていないため唐突感は否めなかったけど、「とにかく自慢させてもらうよ」というところがフランスっぽくて笑って許せました。
 でも、コンシェルジュリーが炎に包まれ、マリーアントワネットが斬首を持って歌い始めたあたりからは唖然!

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 なんて野蛮。この時代に死を笑いものにする?
 その後の、エッフェル塔近くの橋を使って繰り広げられる祝宴の図はイエス・キリストの最後の晩餐のパロディ。世紀末的な宴は、ドラァグクィーンあり、セクシャルで挑発的な装いの人々に混じって、夜だというのに幼子まで登場する始末。これ全部、教育的にどうよ?

まとめましょう

 どうしても辛口になってしまうわたしをお許しください。住んでいると手厳しくなってしまうのです。開会式に関して言いたいことをまとめて〆ます。

一つ、パリには美しい宝がたくさんあり、住民・国民もこのレガシーを自慢に思っている。
 
実際にこんな美しい街は他にはないと思います。空襲も地震にも見舞われなかった恵まれた街なのだなぁ、と、画面を見ながらあらためて思いました。パリは美しい、フランスは美しい、これは揺るぎのない事実。

二つ、フランス人の多くは野蛮で残酷で嘲笑するのが好き
 植民地時代の歴史を検証し反省する動きが近年盛んですが、革命時代の検証は避けたままのフランス。マリーアントワネットが何をしたというのでしょう。にっくきライバル国から来た。魅力的な女性だった。それに嫉妬した人達が作ったフェイクニュースをフェイクだと薄々勘づいていたのに信じた振りをしてギロチンに掛けた。そのことに熱狂する……。革命時代から民のエスプリはあまり変わっていないように思われます。これもフランスの真実。

三つ、挑発するの、モノ申すのが大好きなフランス人
 
多様性の受容は大切。だから「LGBTQな今の社会をあなたは受け入れていますか?」と問いかけたのでしょう(LGBTQの方々はああいう見せ方をどう思われたのか、知りたいとは思いますが)。
 でも、長かった、くどかった。フェミニズムの示威に関しても同様で、反って対立を生むような見せ方に疲れました。こういう、「踏み込んでくるなぁ」と思うこと、フランスではよくあります。

四つ、フランスはやり過ぎる・行き過ぎる傾向がある
 
なぜ今の時代に特定の宗教を愚弄するようなことを、それもスポーツの祭典という場でしなくてはならないのか。言論の自由? わたしにはこれは自由権の濫用にしか思えない。
 フランスはやり過ぎなことが多いと思います。アンシャンレジームの貴族たちもやり過ぎて民の反感買ったし、革命も行き過ぎて恐怖政治となったし、ライシテという名の無宗教主義も行き過ぎ! 大体ライシテと言いつつ、開会式という公式の場で一宗教を持ち出すってこと自体、ライシテに矛盾していないか?

 思うに、多くの人が愛するフランスは、一つ目の「美しいパリ、シックなパリ」だと思うのです。それなのに、二つ目、三つ目、四つ目のポイントは、海外の多くの人々にとっては、「知らなければ良かったフランス」ではないのかしら。それなのに、真っ正直に、今のフランスの全てを見せてしまったのがあの開会式だった、とわたしは思うのです。

 今の時代は話題性が命ですから、そういう意味では成功だったのでしょうし、舞台設定などは、さすがフランス! と唸らせる美しいものがありました。うん、美しさが圧倒的で、気になった点が消されたところがあります。
 あ、そうそう! わたしは、セリーヌ・ディオンの歌声が力強くて感動でした。でも、フランス人の中では「なんでカナダ人の歌手がトリなの?」と納得いかない声も上がっているとか。じゃあ誰が、というとそういう顔が不在というのも、「今のフランス」なのかな。

熱しやすく冷めやすいフランス

 フランスTVのパリ五輪放映は予想外の高視聴率だったとか。今回の五輪で学んだ語彙としては、scotché があります。セロテープのスコッチから来ているスラングです。Je suis scotché devant la télé といえば、「テレビの前から離れられなかった」となります。多くのフランス人は、五輪の放映から目が離せなかったようです。

 ただ、閉会式のあとの、熱狂の引き潮の勢いったら。バカンスの折り返し地点ということもあり、パリはさーっと静かになりました。その極端さも「フランスっぽい」と思いましたっけ。
 今週末にパラ五輪が終わったら、パリは何事もなかったように日常に戻るのでしょう。

ミントの薫り漂う秋の風

 さて冒頭の三島由紀夫の一文は、「空には鱗雲と積雲がこもごも現れ、空気の中にほんの少しずつ薄荷が混じって来る」と続きます。

 フランスの場合は、鱗雲や積雲は季節を問わず気まぐれに現れますが、「薄荷が混じって」というのは日本の夏の終わりと同じです。からっとした空気、胸いっぱい吸ったら、きっとミントの香りがするに違いない。そんな青い空がどこまでも広がる9月です。

 皆様にとっても実り多き秋となりますように。

 ……次回は20日に投稿します!

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