今回は、客室乗務員時代に訪れたパリを振り返ります。
別に時系列に全てを網羅しようとは思っていないのですが、前回「振り返ることで気づくことがある」と知ったので書いてみたいのです。
前回の80年代終わりから今回は90年代に移ります。よろしければお付き合いくださいませ。
CA界の嫉妬
大学卒業して初めての仕事はANAでCA職に就きました。あの頃は、CAがかろうじてまだ花形職業とされていた頃で、実際美しい方が多い職場でした。同じフライト班の同期達もモデルさんのように美しい顔立ちで、スタイルも抜群の上 育ちも良いお嬢様方ばかり。有名人からお声が掛かったりと華やかだったこと!
そんな職場ですから、そして女の職場ですから(当時、ANAではまだ男性CAはいなく)嫉妬がらみの問題もありそうなのですが、そういう話はあまり耳にしませんでした。
「嫉妬」という熟語は両文字に女偏が付くし、嫉妬心は女性の方が強いイメージがあるかもしれませんが、わたしは嫉妬心に男女差はないと思います。(男性も嫉妬すると凄いですよね。実は男性の嫉妬の方が、暗く澱んでいるような気もします)
わたしも、CA時代に職場で嫉妬心を抱いたことはありませんでした。
わたしは、謙遜ではなくて本当にCAらしからぬ風体で、制服も笑っちゃうくらい似合わなくて。なので美しい人に嫉妬してもよさそうなもの。でもそんなことはなく、「〇×ちゃん、ほんとにスタイルいいよねぇ」とか「骨格から綺麗だとお化粧しても映え方が違うなぁ」とか、感嘆&感心するばかりでした。わたしは自分の容姿や性格に関しては子どもの頃から諦めの境地のところがあって、だからあっさりとしていられたのかもしれません。そんな話はまたいつか(するかもしれないし、しないかもしれませんが)。
パリで嫉妬する
前置きが長くなりましたが、いよいよ話はパリ入りします。
パリ便はCAの間でも大人気でした。でもわたしは昔からなぜかフランスには興味が持てず。パリ便が付いても、「ま、ポワラーヌのパンでも買って帰るか」という程度の関心しかなくて。
そんなわたしのパリ・ステイ、唯一の楽しみは、高校時代の友人Kに会うこと。ポワラーヌのパンの美味しさを教えてくれたのも、このKです。当時、Kはパリに留学していました。
中学や高校で、「誰でも好かれる素敵なコ」っていませんでしたか? Kはまさにそういう存在でした。高校時代は少し離れたところから見ていたのが、縁があって少しずつお近づきできて、こうしてパリで会っておしゃべりできるようになって。Kは知れば知るほど素晴らしい人。パリ・ステイのおかげであの頃も共に過ごすことができたことに感謝しています。
そうそう、Kのスチューディオの隣には、当時絶頂期だったシェフ、ギ・サヴォイのビストロがありまして、そこで生まれてはじめて、パンプキンのポタージュとフォンダン・オ・ショコラを頂きましたっけ。今ではどちらもフランスの定番料理ですが、始まりはあの頃だったのです。(リンクに行くと、この時の味を再現した、いやしようとしているレシピに飛びます。簡単レシピです)
性格も良くて、センス抜群で、仕事に不満を抱えるわたしの愚痴も上手に聞いてくれて。Kの考え方や性格の高潔さ、そしてセンスの良さの基には、文化的レベルの高い家で育っていること、たっぷり愛されて、守られていることが見えてきます。そんなKの全てに強い憧れを抱きました。
そしてその憧れの中には、ちょっとだけ嫉妬心もあったんだな、と今は認めることができます。
嫉妬って何なんでしょうね。
羨ましいな、と思う。これも嫉妬なのかしら。
羨ましいな、自分だってそうなれたかもしれないのに なれなかった。その哀しみや淋しさ。これは嫉妬ではない、とわたしは思うのですが。
嫉妬心は、そこにたどり着く前の、「自分だってそうなれたかもしれないのに、なれなかった。なんで? 不公平じゃない? おかしいよね」という怒りだとわたしは思います。やり場のない怒りとの闘い、辛いものです。下手するとその怒りを外へ出してしまって、ああ怖い。だって内にくすぶっているマグマが外へ流れて出て引火しちゃったら? 大火事を引き起こしてしまったら? 悔やみきれないことにならないかしら。
あれは嫉妬なの?
嫉妬ということで思い出すのは、友人Sのこと。そういえば彼女ともフランスへ旅行したんだわ。
あれは90年代中頃のこと。
滞在中にはブルゴーニュへも足を延ばしたことも、今思い出しました。
その日、市庁舎みたいなところでお祭りが開かれているようでした。「みたいな」「ようで」という辺りにわたしとSの気ままさ、調べの足りなさが現れていますよね。ネットなき時代だったこともありますが。
ま、そういう二人だったのです。
で、会場を覗きに行くと40フラン(ユーロの前の時代です)を払えというので、「払う?」「うん、面白そうだし、いいんじゃない?」と払い、「よくわからないけど見学しよっか」と進もうとすると、入り口のムッシュに「ちょっと、これ」とガラスのワイングラスと紙皿を渡され、Sと私は!?!? となりまして。
この日は、なんとブルゴーニュのワイン&フロマージュ祭りだったのですよ。わたしたちはそんな祭りがあることすら知らなくて。赤い鼻のムッシュや胸がゆさゆさのマダムから、「うちのワインを飲みなさい」「そのワインにはこのチーズよ、ほら、食べなさい」と次々に勧められて。Sとわたしは「なにこの成り行き?!」と戸惑いながら飲んで食べて。
……懐かしいな。どちらかというとポーカーフェイスなSも、あの時は満面の笑顔でしたっけ。
この旅行中に一緒にエルメスにスカーフを買いに行ったことも思い出しました。思い出は数珠のようですね。
この時は先述のKも同行してくれました。サントノーレ通りの本店では、Kがエルメスの素晴らしさを熱弁し、「なるほどそうなのか」と、それまでは「エルメスとかは別に興味ない」と斜に構えていたわたしも「エルメスの良さを理解したい、理解できる人になりたい」と思ったんだな。その後、グッチも覗いたことも覚えている。バンブーの取っ手のデザインが流行っていた頃だね。
高級ブランドは、ーー少なくともあの時代の高級ブランドは「良いもの」を創っていたと思います。デザインと職人技とメゾンの伝統、そして時代観。それらをぎゅっと込めた「良いもの」。それを本当に理解して持つこと、纏うこと、そうできる大人になりたい、と、上向きな人なら誰もが熱望していたと思う。
今のように、「他の人からこう見られたいから持つ・纏う」ものではなかった。そう考えると、今のブランド物は、存在意義が制服に似てますね。
このSとのフランス旅行は全部で3、4泊したのかしら。もっとかな。たくさんおしゃべりして、楽しかったよね。
でもそう思っていたのはわたしだけだったのかな?
このあと数年して、Sと縁が切れてしまいました。わたしの何かが彼女のこころを傷つけたみたい。
避けられて、縁切りメールももらって、道ですれ違っても目も合わせてもらえなくなった。
人は「嫉妬じゃないのぉ?」というけれど、そんなことないよね。わたしの何に嫉妬するというの?
でも考えても理由が見つからず、「……ねぇ嫉妬ってことになっちゃうよ、それでいいの?」と、今でも、時々だけど、こころの中で問いかけています。
フランスの地霊
何の意図もなく、こうして思い出すがままに書き綴っていますが、気づくと「嫉妬」がキーワードになっていますね。これ、偶然かなぁ、それとも、フランスの地霊が為せる技?
あのですね、フランス人って嫉妬心が強いんですよ。こちらに住むようになってから知ったことです。
男女間の嫉妬にはほんとに呆れるほどですが、それ以外にも「そんな露骨に?」と嫉妬心を見ることが多々あります。「あいつは実家が太いからあんないい生活ができるんだ、いつかみてろ、引き摺り下ろしてやる」みたいな嫉妬バナシはしょっちゅう。「『ご実家太いからいいわよね』と、ため息つく」というのとはニュアンスが違うのです。もっと苦々しいというか、荒々しいというか。
ほかにも、
・新車は買うな、なぜなら傷をつけられるから。
・お金持ちは地味に静かに暮らさなくちゃだめ。妬まれて嫌な目に遭うから。(逆に見せびらかしている人に対しては「ああいう人に限って実はきっと火の車なのよ」というねちっとしたコメントも聞かれます)
・あまり出来がいいところを見せないように。出る釘は打たれるカルチャーだから。
・「あいつの方が給料が高いのはおかしい。私のも上げて、そうしないなら辞める」と脅す従業員……。
忠言だったり、家訓だったり、事例だったり、そんな嫉妬バナシを折に触れ耳にします。人の車に傷つけたところでなんのメリットがあるのでしょう。お金持ちの人がどう暮らそうと自分とは関係ないですよね。出来がいい人にはどんどん能力を発揮してもらって、何だったらタッグを組んで一緒に高みに連れて行ってもらったらいいのに。人と自分を比べ出したらキリがないのに、「俺にも給料寄こせ」?
こういう嫉妬は日本にもあるけれど、だからといって加害・行動に出ることは少ないのではないかしら。
フランスの嫉妬深さの背景には「平等精神」があると思うんです。「自由・平等・友愛」の平等、エガリテ égalitéです。元は法の下の平等を謳っているのが、いつの間にかもっと物質的な平等を求める権利に変わっている気がします。そんな平等って存在しないのにね。「平等であるべきだ」という縛りが人々のこころを不自由にしている気がするんだなぁ。
自由に自由に
この年になると、自分の限界がまざまざと見えてきて、それは哀しみを伴うことなのですが、一方でどんどん自由になっているな、と実感しています。「ごめん、わたしには無理だったみたい。あなた、わたしの分も頑張ってみて!」と見えないバトンを見知らぬ誰かに渡している、そんなイメージです。
バトンを渡したあとは、誰とも競うことも、比べることもなく、自分が好きなように走ればいいわけで。ここからも嫉妬と無縁で生きていきたいな。でもフランスにいる限り、気を付けないといけないのかな。
話がフランスに近づいたり離れたりしていてごめんなさいね。
次のその③では、いよいよ「わたしとふらんす」というタイトルにふさわしい、フランスにきて驚いたことなど、書いてみようかと思います。