品格を養いたい人に薦めます! 『大使とその妻』

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©エクリールAmie

あゝ品格って……。

先日の、米国大統領と副大統領、ウクライナの大統領の共同会見を観たとき、思わず声を漏らしてしまいました。会見といっても、わたしが見たのは4分余りの切り取り動画で、その前後の流れは分かりません。でも、あの4分間に米国側の2人が露呈した品格の欠如ぶりったら。

年月経ってからこの読書感想文を読んでくださる方のために、2025年2月末の時点で、何が起きたのか記しておきます。※この件についてもう耳にタコができるほど聞かされている方は下のコラムをスキップしてください。

2025年2月28日、ホワイトハウスにて、米トランプ大統領とバンス副大統領がウクライナのゼレンスキー大統領とメディアを前に会談した際、激しい口論となりました。
英語が母語でないゼレンスキー大統領に対し、米大統領&副大統領コンビは、代わる代わるまくしたてる、ようやくゼレンスキー氏が「沢山の質問を受けたので、一つ一つ応えさせてください」と始めたので、やっと彼の意見も聞けるのか、と思いきや、途中からトラ氏が割り込み、バンス氏は、「我々に礼を言ったか?」とゼレンスキー氏を糾弾するなど、米国首脳の二人の攻撃的な物言いが物議を醸しています。

トラ氏もバンス氏も学歴・経歴は立派で、前者は生涯において経済的にも豊かな人、後者に至っては、貧しいところから努力して上り詰めた人らしい。社会的には成功者の二人なのに、人間としての品格は……、という。

そうなると知りたくなるのは、「じゃ、どうやったら品格って生まれるっていうんだろう」、ということですよね。
ふっふっふ、わたしは答えを知っているのですよ。
知りたいですか?
知りたいですよね。

勿体をつけていますが、答えは、読み終わったばかりの『大使とその妻』にあったのですよ、だから分かった、それだけのことです。

敬愛する水村美苗さんの新刊『大使とその妻』は、一月に日本に行ったときに持ち帰って来たものです。水村さんの小説があまりに好きなので、ゆっくりとその世界観を楽しみながら読める、少し余裕があるときを待っていたら、それがちょうど、米ウ首脳会談にバッティングしたという、絶妙なタイミングでした。

『大使とその妻』は、一冊(上下巻なので実際には2冊)の中に、愛や人情、歴史や神話という要素だけでなく、地理的にも、軽井沢、京都、東京、そして国もアメリカ、ブラジル、フランスと、実に多くの要素が絡み合うのですが、貴子という稀有なる女性を軸に展開していくのでこんがらがることはありません。毎度のことながら、水村氏のストーリーテリングの巧いことよ。

物語の中では、「品格とは」という以外にも、「教養とは」「文化とは」「日本とは」「ふるさととは」「神格化とは」「親とは」「女とは」「結婚とは」など、たくさんの問いかけが詰まっています。読み耽っていた数日間は実に贅沢な時間でした。

このようなリッチな小説だったので、もう一度読んでから感想文を書こうと思っていたのです。でも、この会見が飛び込んできたのも、何かのご縁なのでしょう。品格について考えてみたいと思います。

あらすじには触れずにおきたいのですが、設定だけお伝えしておくと……
物語のナレーターであるアメリカ人ケヴィンは、かつての、高い倫理観や文化を持ち、慎ましく暮らしていた頃の日本に恋い焦がれ、研究してきた人です。そう若くないときに来日したものの、現代の日本に絶望し、今は人嫌いのように追分にある山小屋にいます。そんなある日、品の良さそうな元大使夫婦に出会います。特に妻の貴子は雲上人のような気品があり、立ち居振る舞いからして、宮家か何かの出自に違いない、とケヴィンは確信しています。でも実は……。

と、ここから壮大な展開が始まります。

貴子の品格の出どころは、たぐい稀な運命から様々な教養教育を受けたことが一つ、なのですが、それ以前に、品格の種を持っていたように書かれています。「なんだ、結局生まれか」と思われるかもしれませんが、違うと思う。生まれてくるすべての人に、「品格の種」は宿っているとわたしは思うのです。それを芽生えさせるのは、大人の仕事、社会の仕事なのだと思う。貴子の場合は、両親が大切に大切に育てた。だから発芽した、そういうことなのだと思います。

貴子は7歳の時に別れを知り、こころの中に埋めようのない悲しみを持ってしまいます。その後、赤の他人たちから、やさしくしてもらうけれど、この悲しみが持って行ってしまったものは、穴として残ってしまう。

その穴を埋めるものとして、貴子は日本の教養文化で満たそうとします。「教養文化」なんて味気ない表現をしてしまいましたが、たとえば、月に亡き人を思い、祈りとしての舞いに慰められ、日本文学を読む、とか、そういうことです。さらに特別な環境にあったので(ネタバレしたくないのでぼやかした表現にしておきます)言葉遣いはアップデートされず、古式ゆかしい日本語を話す女性となるのです。

これって、フランス語でも「あるある」でして、アフリカのフランス語圏で話されるフランス語の方が、本国の砕かれたフランス語より、格式高く文法的にも上等だ、というのはよく耳にすること。一方で、カナダのケベック州のフランス語は、英語の影響なのでしょうか、独特の語彙があり、アクセントも強くて、フランスでは軽い嘲笑の的となっている節あり。この違いは何なんでしょうね。アフリカ諸国の方がフランス語に対する敬意があるのかな。

わたし自身も、特に書き言葉が古い、と言われます。日本を出て約30年ですからね。
「『~ませ』とか、もう誰も使わないよ」
と指摘されて赤面しました。わたしもガラパゴスになっているのかも、知らんけど(――と今風の日本語を使ってみるわたし)。

閑話休題。

教養って大切ですね。教養って、つまるところは色んな生き方・考え方を知る、ということではないでしょうか。『大使と……』でいうと、例えば百人一首の、望郷を詠った歌が出てきますが、そういう心情を持つ人がいにしえの頃にも居たんだな、と、知るわけで。お能でも日本舞踊でも、そういう悲恋の物語を生きた人がいるんだな、と知る。文学に至っては、まさに色んな生き方のサンプルのようなものだし。

美術や音楽を鑑賞するというのも大切な教養ですが、これも、そこに表現されている心の躍動や自然への畏怖という、やはり生き方・考え方を、感覚的に理解する訓練だと思う。ビギナーズラックで、無学でも運命の一枚に出会うこともあるけれど、やはり、たくさん観て、目を、精神を耕すことで、もっと見えてくる、もっと感じられる、そういうものではないかしら。

だから教養教育はとても大切だと思うのです。なぜかというと、品格って、相手のことを、相手の立場から考えることから生まれるものでしょ? そのためには色んな生き方・考え方がある、ということを知ること、大切です。世界には、ほんとに色んな生き方をしている人がいて、過去にさかのぼった日にゃ、もう驚くほど偉大な人も、胸が痛くなるような悲惨な経験をした人もいた、ということを知る、とにかく知る。

すると、そういう知識というデータを持っていることで、相手のことを考える能力、理解する能力が高まると思うのです。母語ではない環境で交渉しなくてはならない人の緊張も想像できるでしょうし、プロトコールを知らされているのに、敢えてスーツではなくTシャツでホワイトハウスに来る、その背景にある、幾つかの思惑も想像できるでしょう。「感謝の言葉がない」という言葉も出てこなかったことでしょう。

プロトコールついでに、わたしが持ち札としているマナーやエチケットという教養についても一言加えると、これって、かつての人々が、こう振る舞うことでこの社会に属する人達が気持ちよく一緒に時を過ごせるらしいから、「こうしましょう」、と生み出した不文律ですよね。要は相手を慮る力が、マナーを生んだのだと思っています。

ということで、品格には教養が大切、というのが一つ。

でもそれだけでもダメ、なのです。

品格に関して、もっとも大切なことが、『大使とその妻』には書かれていたと思います。それは、優しさを知っているってこと。貴子は、悲しみだけでなく、優しさも知っている女性なのです。いや、悲しみの穴があるからこそ、優しさを受け取れた、ともいえるかな。

貴子は、肉親と離れ離れになったあと、複数の他人から優しさを受け取ります。貴子をかわいそうと思い、素晴らしいと思い、愛情を注いでくれた人々。愛子はそれをありがたく受け取ります。

相手を思いやるというのは、小さな愛ですよね? 愛を受け取ったことがない人には、愛を贈るのは難しいことは想像にたやすく。貴子の気品は、愛をたっぷり受け取った人、その温かさを分かっている人だから生まれたもの、それが教養によって光を放ったのかな、と思った次第です。

そこでまたまたトランプ&バンス・コンビに戻りますが、あの人たちは、教養も、だけど、愛の経験がなかったのかな、と想像したりしています。損得なしの愛を受けた経験がなかった。もしくは受けても、それを損得でしか見られないほど、こころを固くして生きてきたのかも?

これこそ「知らんけど」ですね。

品格を養いたい、と切に願っています。まずは、わたしに優しさを示してくれた方々、愛を注いでくれた方々を思い、そのことに感謝するところから始めたいと思います。

あと教養もつけたい! 色んな人の色んな生き方を知りたい。

最後に宣伝になってしまいますが、エクリールでは、教養と呼ぶには面白過ぎるのですがジャンル分けするならやはり教養なのかな、そんなオンラインサロンを始めます。

詳しいことは近々こちらのサイトに掲載します。

ということで、『大使とその妻』の、読書感想文になっていない感想文その①でした。

長文を読んで下さりメルシーボク―!

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