「言う・言わない」は、もしかしたら私が思う最大の日本とフランスの文化の違いではないか、と思うことがあります。美紀さんが、日本の交渉相手と結論が出る前に連絡が途絶える、と言う例を出していらっしゃいましたが私も「傷つけたくない」という相手の配慮に気づかずに「どうしたのですか?」と最後の一言を聞きに行ってしまう方です。美紀さんも私もこんな風に考えるのはフランス人と長く付き合っているからでしょうか。それとも元々持っているものでしょうか。ただ私も100%「言う」人という訳ではありません。ハイブリッド型です。
確かにフランスの方が「言う」人が多い印象です。むしろ言われなくなったら終わりという気もします。彼らにとって自分の意見を言い、その根拠を説明し、それを怠わない事が誠実さの証なのではと感じます。
言う、言わないで今も思い出される私の経験した別れはフランス人の友人とのものでした。
彼女と私は少し年齢が離れています。子供の年齢も結構違い、お互いの子供が学校に行っている時は何も問題がなかったのですが、彼女の子供達が巣立っていき、仕事をしていなかった彼女は暇を持て余していたのでしょう。私にしょっちゅう電話がかかってくるようになりました。私はその頃まだ三人の子供が小、中、高校生で、子育てと始めたばかりの仕事で忙しく過ごしていました。以前は、彼女と私は子供達が学校に行っている間に美術館に行ったり、日本やフランスの伝統文化を学ぶ講座に一緒に参加したりと趣味はよく合っていました。ただ時間が合わなくなっていったのです。
電話というのは何かに集中している時は少し鬱陶しく感じるものです。電話をかけている相手が今どんな状況かわからない。私は彼女から出かける誘いの電話があっても、誘いを断るか、電話に出られないことが増えていきました。彼女が嫌いになったわけではなく、ただ状況がそうなっただけでした。ですが、電話に出て話した時の彼女の落胆ぶりと、「なぜ会えないのか」「いつなら良いのか」と少し責めるような口調が次第に重く感じられるようになり、そのうち、電話が鳴って彼女からの着信だとわかると気持ちが下がるようになっていきました。そして私たちの連絡は途絶えていきました。
しばらくして、久しぶりにどうしているかしらと私の方から彼女に電話をしたのですが電話口に彼女が出ることはなく、メッセージにも返事が来なくなりました。その後、彼女のご主人の駐在期間が終わってフランスへ帰国したようでした。もしかしてなぜ忙しいのかという細かい状況、いつなら会えるのかという具体的な展望、彼女について不満があるわけではないという個人的な気持ち、そんなことを説明するべきだったのでしょうか。しょっちゅう会わなくても、詳細を説明しなくても細く長い付き合いをすることは無理だったのでしょうか。
日本の友達と数年連絡を取っていなくても、急に会うことになって、会ってみれば昨日会ったように話がはずむ、と言うことがよくあります。「会えなかった」というより実際は「会わなかった」期間、なぜ会わなかったのか、という部分に関してははっきり言わずに友情はずっとそこにあったのだと錯覚させるような会話をする。それが許される曖昧さ。はっきりさせない関係にもその優しさがある、と思うのです。はっきり説明してしまえば、会えなかった時はあなたのことを思い出すこともほとんどなかった、というような事実があるのかもしれない。
どこかで友情が途切れたように感じても、またある日、思い出して話を続けることができるなら、それは友情として十分なのではないか。そんな関係のゆるい継続性を許してくれるのが、言わないことだとしたら、それはそれで良いと思うのです。私はそうやって救われた友情をいくつも大切にしています。説明責任を果たす「言わなければならない」関係は、その時点での事実をはっきりさせてしまうことで、未来の可能性を奪ってしまうこともあるのではないか、と思うのです。
私は、答えが欲しい時はフランス風に「言う」「言わせる」態度を取ってしまいがちです。でも実際は「言わない」文化もうまく利用しています。ただ、痛い経験をしたので、フランス人と付き合うときは説明責任を最低限果たすようにしているというのが正直なところです。

