最近出会った、わたしの小さなモヤモヤを整頓してくれた本をご紹介しましょう。この本のおかげで毎日の掃除や洗濯が楽になりました。
(写真は、わたしの暮らしがぎゅっと詰まっている、拙宅の台所です)
続きを読む: 『ぶらり、世界の家事探訪<ヨーロッパ編>』を読んでそんな魔法のような本、『ぶらり、世界の家事探訪<ヨーロッパ編> 』は、70代と思われる著者の阿部絢子さんによる、フランス、北欧、イタリアなどでの短期ホームステイを通して経験した現地の暮らしのルポルタージュ。家事の在り方について考えていた昨今だったので、「家事探訪」というタイトルに惹かれて手に取りました。
たかが家事、されど家事
そう、わたしの近年のモヤモヤの一つは「家事」のことだったのです。
フランスのわたしの周りには、裕福な人はもちろん、ごく普通の中流家庭でも、家政婦femme de menageを雇っている人が多いのです。住み込みなどではなく、週に一度、2~4時間程度お願いしていて、アイロンがけだけ頼んでいる人もいれば、掃除機を掛けてもらう、トイレ・お風呂場を頼んでいる、料理の下ごしらえを頼む、そんな感じかな。
うちは、家事は全部わたしが仕切っています。それを言うと、年配のマダムなどは、おもむろに呆れた顔をされたり、「いい人いるから紹介するわよ」と頼んでもいないのに申し出られたりします。彼女たちの世代は「女中」がいて当たり前、いないわたしは、「お気の毒な方」なのでしょう。
同年代となると「使う、使わないは、それぞれの選択よね」という、真っ当なスタンスですが、それでも、家政婦を雇っていない友人とこの話題になると、「アナタのところも雇っていないのね……」と、お互い物哀しい笑みを交わしてしまう。「わたしたち、自分でやってるんだからスゴイよね!」というキラキラ感はありません。
そんなフランスにいると、「家事って、そんなにどうでもいいことなの? お金がないか、ケチな人だけが自分でやっていることなの? 拘ってきたわたしは、日本で何かを擦り込まれた古い人間なの?」と、考えさせられてしまうのです。
わたしが家政婦を雇わなかった理由には、お金のことや良い人を探すのが面倒だったこともあるのですが、それ以上に、子ども達に自分の始末は自分でする、という常識を持ってもらいたかったから。子どものころから、わたしが家事をしてあげているのを見て育ったら、きっと学ぶだろう、手伝うだろう、そして自立できるようになるだろう、と思ったのです。
その甲斐あって、と言いたいところですが、出来上がりはビミョーでして、そんなことからも、家事って何だろう、と考えるこの頃でした。大体、自立できるように、というけれど、息子たちも将来フランスに住むのなら家政婦を雇うかもしれなくて、そう思うと、やっぱり家事ってどうでもいいことなの? とモヤっていたのです。
暮らしが好きだ!
同書には、ステイ先それぞれの家事事情について書かれています。「うーん、ちょっと短絡的な結論では?」と感じるところもありましたが、考えるきっかけがたくさん散りばめられていて、うん、十分によい本。
「人に頼むという選択はアリ」……そうね、そうよね。
「家事は女だけの仕事、というのはおかしい」……それは絶対そう。
「家事は暮らしを司るための作業だ」……ふーん。ふーん。ふーん。
「暮らし」という言葉が大好きなわたし、思わずこの部分を何度も読み返しました。
「生活」と同義語だけれど、そうではなくて「暮らし」。
美しさや物哀しさや生きることなど、色んなものが感じられて、暮らしというこの言葉に、いつも、こころを掴まれます。
ふーん、「家事は暮らしを司るための作業」、か。こんな風に書かれると、まるで神事みたい。でも確かに、家事はこころも入っているよね。祈るといっては大げさだけれど、料理をするとき、埃を叩くとき、アイロンをかけるとき、気持ちを込めている。
家事は暮らしを司るための作業、か。ふーん、いいね、いいね。
「家族としての暮らしがある。その暮らしの集合体が社会である、だから」、と作者は続きます。だから、社会性という観点からも、子どもの時から家事を身に着けさせるべきだ、と。
ふむふむ。最終的には同じことなのかもしれないけれど、わたしにとっては、わたしにとっては、と考え始めます。
暮らしって大切、とっても大切なことだから、ないがしろにしちゃだめで、一つ一つが大切。ゴミ捨ても、掃除も、料理も、そういう毎日の営みがあって、暮らしが作られて行く、「家事は暮らしの作業」ってそういうことか。うん、そういうことだったんだな。
段々見えてきました。子ども達への躾とか教育とか、偉そうに言っていたけれど、そんなの後付けの理由ね。わたしは、ただただ、子ども達に、暮らしを大切にしてもらいたい。だから「家事を手伝って、できるようになって」と、ガミガミ言ってきたんだね。でも、大切なことは、ガミガミ言っちゃだめだよね。伝え方が悪かったね、ごめんね。
このことに気づいてからは、以前よりも、こころ穏やかに家事に携われるようになりました。
ほんとなんですよ。
あと、わたしには永遠に無理、と思っていた「丁寧に暮らす」というのにも、少し近づいてきた気がします。
息子たちに対しても、ガミガミかあさんは止めにして、「暮らしを大切にして」路線にシフトチェンジです。「ねぇ片付けよ。気分がすっきりするよ」「ごみ捨てておいで、その方が気持ちいいから」と言葉かけも変わりつつあります。
そして、穏やかでいられないときが来たら、わたしも家政婦さんにお願いしようと決めました。誰を通してどうやって頼むか、相場は幾らなのか、など早速調べ始めています。
すごいでしょう? 作者の方の、軽快に行動を取られる姿に元気を頂いたのでしょう。わたしもできることはどんどんやってみよう、という気になっています。軽く読める本だし、うん、良書良書。
そうそう、もう一冊、暮らしに関するとっても素敵なエッセイにも出会ったんでした。でもその話はまた今度。
皆様も、お勧めの本がありましたら教えてくださいね。